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子育ての悩み以上に……

水曜日, 4月 7th, 2010

子育ての悩み以上に、深刻な事態に襲われました。

父が亡くなったのです。

がんに侵されていたのですが、
老齢のため、進行はゆるやかなものと聞いていました。
ところが、肺炎を起こして、
「あと一週間、もつかどうか……」
と連絡が入ったのです。
衝撃でした。

病院へ駆けつけた時、苦しい息の下から、孫たちの手をとり、
話せないので、小さなホワイトボードに、みみずのはったような文字で、
「かわいい。かわいい。目の中に入れてもいたくない」
と書いていました。
そして、傍らにいた兄に指示して、孫たちや私にまでお小遣いをくれたんです。

親の愛情の深さは、山よりも高く、海よりも深いと聞いてはいましたが、
今、自分が死んでゆかねばならない、そんな状態の時でさえ、
子や孫のことを考えてくださる。

「 『父母恩重経』には、
 『父母の恩重きこと天の極まり無きがごとし』
 と説かれているのよ」

いつだったか、親鸞会の人から、聞いた言葉がよみがえり、
あついものがこみあげてきました。

そして本当にわずか一週間で、後生へと旅立っていきました。
浄土真宗の中興の祖・蓮如上人が書かれた「白骨の章」も
心に浮かびました。

「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、

この世の始中終、幻の如くなる一期なり。 

 されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。 

今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、

明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。

 されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。

既に無常の風来りぬれば、すなわち二の眼たちまちに閉じ、

一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、

六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。

 さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、

ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。

されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、

誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、 

阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり」

祖母が亡くなった時、葬儀でこの「白骨の章」が読まれ、
父が気に入って、何度もテープで流していました。
その「白骨の章」どおりに、父も逝ってしまった……。

最期の一息がきれてから、みるみる顔色が変わって、
まるで別人のようになってしまいました。
葬儀でふれた父の顔は、氷のように冷たかった。
そして、ひとつまみの白骨となってしまいました。

まだ死というものがよく分からぬ子供たちが、
無邪気に駆け回っていました。
大人だけだったら、ただ悲しいだけの葬儀に、
わずかに別の息吹を吹き込んでいました。
こんな時には、いたずらっ子もいいもんですね。

人はみんな死んでゆく。
遅かれ、早かれ、死んでいく。
私も、子供たちも例外ではない。
ならば、何のために生きるのか。

深く考えさせられました。

子育ての悩みとか、その悩み相談したいとか、
そんなことは、ちっぽけなことで、

人生には、もっともっと大きな問題があるんだ

と自覚させられた出来事でした。

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